西日本の豪雨災害により、
被災された地域の皆様には、
心よりお見舞い申し上げます。
私の住む東北、仙台では、
結局のところあの雨の影響はほとんどなく、
変わらない〜梅雨〜を過ごしていて、
画面を開くとあのような状況になっていることに
とっても心が痛みます。
大きな町が、別の町の姿になってしまっている。。。
思い出すのは、東日本大震災。
あの時、私たちも他の地域の方々に、
想われ、
支援され、
応援され、
励まされ、
守られて、
こうして、今も元気に過ごすことができてます。
灯のつかない夜や、
事実かどうかすら確定しないいろいろな情報。
信じるものは、
今、目の前にいるその人。
これからどうなるのか。
どうするのか。
不安は、もちろんあったけど、
それよりも、この子たちを守る!
大丈夫!
と、信じて動いていた。動かされていたことを思い出します。
幸いなのか。
もしかしたら、
未経験なままの罪悪感を抱くことになったのか。
私たち家族は、
実家が全壊ではあったものの、
原発、放射能からの安全を考えて、
仙台に残るチームと
こどもたちを守るチームに分かれ、
行動することを決断しました。
私は、母や妹。従姉妹、
そして、こどもたちと
即、西日本。京都へ避難。
いち早く、被災者支援住宅を開設してくださったこともあり、
数日友人宅にお世話になった後、
支援住宅で暮らし始めることができました。
仙台に残っている、
夫、
身内、親戚と連絡を取り合いながら、
私は私で、こどもたちと暮らす。
まだ小さかったこどもたちは、
知らない土地で暮らすことは、
そんなに苦にならず、
現状を楽しんでくれて、
私を助けてくれてたようにも思います。
仙台では、
食料品はじめ、
生活における必要な物の確保や
電気、水道の復旧までの苦労。
みんな大変な日々を過ごしながらも、
助け合い、情報交換し合い、
人と人とのつながりで、
しっかりとその時の生活を守っていたと、
後で、帰仙した際に伺いました。
現地にいる方も避難できる方も。
不安なことは、話をし。
相談し。
助けを求め。
委ね。
いろいろと確認がとっても必要と思います。
我慢し過ぎて、
家族間でも
ギクシャクしてしまうこともありました。
誰かを想うとき。
苦しいとき。
不安なときことそ、
関わっていくことで、
解消されるモノがあることも
改めて知った時期でもありました。
あの時。
たくさんの勇気をくれたあの経験が
せんたくかあちゃんのような
何があってもど〜んと「まかしとき!」
と言えるような状態を
育んでくれたのかとしれません。
不安。もちろん。
心配。もちろん。
大変!もちろん!
でも、ゆっくりとしっかりと進んでゆきます。
泣いたり、落ち込んだり、
そして、笑ったりしながら、
一日一日を過ごしてください。
からだごと応援に行く人。行ける人。
物資や義援金で応援する人。できる人。
そして、想いの力も!
みんな、想ってます!
何かしたい!と思い、
募金をしたり、
チャリティーイベントをしたりと考えてはいますが、
今、自分や家族の生活を守ることも一番の役目。
ほんと、少しのことしかできないのだけれども、
ただただ、いつも、現地のことを想っています!
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