ヨーガの事はじめ、
日々の心の在り方を教えて下さる
先日、頂いた吉岡先生のお言葉が、
とっても心に入りました。
何よりも忘れてはいけないのは、
「足る」心と「感謝」心。
改めて感じます。
みなさんへもシェアしたく、
図々しくもお願いさせて頂きましたら、
ご許可を頂きました!
錦本先生。
吉岡先生。
対応して頂いた、土井様。
本当にありがとうございます!
以下、本文です。
みなさんもぜひ、受け取って頂ければと思います。
【綿本ヨーガスタジオ メールニュース第127号講師便り
~吉岡先生~より引用】
こんにちは
綿本ヨーガスタジオ吉岡です。
年末版メールニュースを書かせていただきます。
今年は、暑かった夏から一足飛びに冬に突入してしまいました。
急激な気温の変化に、
皆様はいかに対応していらっしゃいますでしょうか?
これもすべては大きな自然のなせる技ということなのでしょうが・・・。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
美しく流麗な文章で多くの人々に知られている「方丈記」の
冒頭の部分です。
この文章と、これが無常について書かれているものと言うことは
私も知ってはいましたが、全文を読んだことはありませんでした。
最近、特に昨年の東日本大震災以降、「無常」ということが
心にかかっていましたので、一念発起して読んでみることにしました。
(もちろん現代語訳です)
皆様はどう思っていらっしゃるのかわかりませんが、
私には、ここのところの地球的な自然環境の変動
(地震、津波、大型台風、異常気温など)は、
文明の発達による利便性を、人類が享受するに過ぎて、
自然環境を破壊してしまった結果起こってきた現象と
思っていたのですが、
「方丈記」を書いた鴨長明の生きていた平安時代も、
すでに多くの自然災害は起こり、大地震、津波、旱魃による飢饉、
大つむじ風(竜巻のようです)、大洪水などが次々と人々を襲い、
数え切れないほどの多くの死者が累々と道端や河原に重なっていた
ということです。
考えてみますと、日本の国土それ自体、
このような自然の脅威からは逃れられない条件の中に
あるからなのでしょうか?
常に変化してやまない外圧に対して、
これを「無常」として受け止め、
ある種の諦観とその諦観をベースにしながら生きる力強さを
腹の底に育んで生きてきたのが日本人なのかも知れない
と思えるようになりました。
鴨長明は、その中で、
いかにしたらこれらの悩みを少なく生きられるのかを考え、
出家遁世の道を選びました。
一丈四方の家(組み立て式、移動可能)に一人で住み、
人里から離れて世の中の人々の生活ぶりを眺めながら、
自分の生き方を貫いた様子が読み取れます。
それは、災害に襲われても失って嘆くような財宝は持たず、
一人で住まいをすることで周囲に気兼ねをすることもなく、
野山で採れるものを食べ、
足りなければ自分の努力が足りなかったと思い、
粗末な衣服でも事足りる状況に満足し、
何かしなければならないことがあれば、
人を頼みとせずに自分の手足を使い、
苦しい時には身体を休ませ、
元気な時には度を過ごさないように気をつけて使い、
身体を丈夫に保つためにもむなしく休むこともなく
暮らすことを心がける日々を送っているのでした。
そして誰に聞かせる訳でもないので、
下手でも、松風の音に合わせて琴を弾き、
水の音に乗せて琵琶を奏でることを楽しみ、
阿弥陀如来や普賢菩薩像に祈りを捧げる毎日を過ごしている
というものでした。
この暮らしぶりに触れて、
その中から、私はヨーガの心を読み取ることができたのです。
いかに安らいで本来の生を生きるかを教えるヨーガの心そのままに、
全てを受け入れ貪らず、清らかな心を保ち、
人間を超える働きへの祈りを絶やさない、
その生き方がまさしくヨーガの心そのものだったのです。
現代にこの生き方を当てはめることはできませんが、
その中に流れている彼の心を引き受けて生きようとすることは、
それがどのような時代背景の中にあっても、
大変大切なことだと私には思えました。
たとえ厳しくとも、その現実を受け入れて生きることは、
私たちを取り囲む大きな自然の働きに対しても同じです。
時には脅威であったり、時には大きな恵みでもあり、
そして、人間の想定など遠く及ばない神秘に満ちている自然に対し、
謙虚な心で向かう事ができる時、これ以上逆らうことをなくし、
子孫からの借り物とも言われているこの自然を、今、
できるだけ瑕をつけないで子孫に返すことができるよう、
真剣に考え、
行動することが大切なのではないかと強く感じざるを得ません。
また、今回、下記のことも知ることができました。
東日本大震災と同時に起きた原子力発電施設の爆発により、
放射線に汚染された地域に対し、
原子力委員会定例会議に提出された石井慶造氏
(東北大学大学院工学研究科)の論文によれば、
セシウムは陽イオン化して負電荷を帯びた粘土質の粒子と合体し、
植物には吸い上げられない形になり、しかも日本の土壌は、
火山国であることも幸いし、粘土質が多い。
現在は、七割以上のセシウムが粘土質に固定され、
水に溶けないから水道水には入らず、
酸及びアルカリ溶液にも溶けないから身体にも吸収されず、
植物にも吸収されない状態である。
しかも、東北にまで大雨による被害をもたらした台風で
真っ先に流されたのは、表土近くの粘土粒子であった。
(以上、「無常という力」玄侑宗久著)ということなのです。
間違いなく自然に救われているこの状態を知った時、
私は心からの感謝の思いを深く深く感じました。
そして再度確認したいと思いました。
私たちは、大自然の中で生き、生かされていることを!
そして、この大いなる自然、神とか仏とかではなく、
この自然の一部としてあることを!
少々熱くなりすぎましたでしょうか?
新しい年に向かって、心の中を一新しましょう。
皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。
【綿本ヨーガスタジオ メールニュース第127号講師便り
~吉岡先生~より引用】